2009年1月22日 (木)

もう… まだ…

あれからもうすぐ3ヶ月が経とうとしてる

バタバタとあわただしい日々
生活って案外そんなものかもしれない

本当は、もっとやらなくちゃいけないことがあるはずなんだけど、なかなかそこまで取り組む余裕がないと言うか、やっぱりまだ家族は義父の死を受け入れたくない気持ちがどこかにのこっているような…

やっぱりわたしは嫁いできた人間だから、奥深いつながりまではわからない
同じ家族でさえ、ひとりひとり考え方も違う
意見も人の数だけある

わかってはいても、思い通りに行かないとイライラする

もう3ヶ月…

まだ3ヶ月…

| | コメント (0)

2009年1月19日 (月)

スケッチ

スケッチ
義父の趣味のスケッチ


部屋のあちこちに額に入れて飾ってある

イヤでも思い出がいっぱいだ…

| | コメント (0)

2008年12月 8日 (月)

五十日祭

冷え込みが一段ときつくなった日曜日、義父の五十日祭を行った


親戚も駆けつけてくれ、今日から我が家の守り神になった義父


遠方から来てくれた親戚
義父と義母の出身地が離れているから、お互いの交流がなかなかなかったのに、義父の生前の作品である趣味の写真を通じて、とても和やかに時間が流れた
いまだ義父が亡くなったことが信じられないと口々にし、まだこれからやったのになぁとか、悔しかったやろうなあとか、みんな義父の死を本当に驚き、
悲しんでいる


でもこれからは、我が家の守り神としてそばにいる
だから、悲しむのはやめにしなくちゃね

| | コメント (1)

2008年12月 4日 (木)

現在地

義父が亡くなってから、もうすぐ50日になろうとしている

今度の日曜日には、五十日祭という、仏教でいう四十九日法要をする

葬儀の際、宮司さんより「亡くなった日から50日かけて神様のもとへ旅をする」と
説明を受けて、ものすごく驚いた

葬儀が済んでから50日間は、祭壇に燈明を灯しておく理由も聞いて納得できた

その理由は・・・
亡くなると、その日から50日間かけて神様のもとへ旅をするのだけれど、その道のりは暗いんだそうで
その暗い道を歩くために、燈明の明かりを頼りにしているから、欠かさないでと言われた

40日経った昨日、チビが「今、じいちゃん、どのへんかなぁ?」と聞いてきた
うーん、考えたこともなかったし、ちょっとビックリした

前の日曜参観の招待状にもチビは義父のことを気にかけていた
旅の具合をどうだと聞いて・・・

ちゃんと50日で神様のもとへ辿りつけるのか、心配してるのかな?

「どうかなぁ?じいちゃん、寄り道しないで行けてるかな?」って言ったら
「じゃぁ、聞いてみて」と言いだした

自分で聞けばいいのに そう思いながらも、わたしもちょっと霊璽の前で黙祷し、心を研ぎ澄ませてみた

・・・ 真っ暗で何も見えない

もちろん、見えるはずもないのかもしれないけど、もしかしたら義父がなにか訴えかけてくるかもしれない、そんな気持ちになった

だから霊璽の前で目を閉じてみたんだけど・・・

やっぱり何も見えなかった

正直に「真っ暗で何にも見えんかったわ」と答えると、チビは

「そっか。今、一番暗い所に行ってるんやな」と言った

あぁ、そっか。そういう考え方もあるんだ、と。

子供ってホントに純粋で、ストレート。
絶対に悪い風には考えない。

霊璽の前で目を閉じて、「どうせわかるはずない」と思っていたわたしと、見えないのは一番暗い所を通過しているからだととらえた子供

この違いは、どこから生まれてくるんだろう?

もしかしたら、義父は、本当に今一番真っ暗闇の部分を歩いているのかもしれない

本気でそう思った瞬間・・・

 

| | コメント (0)

2008年11月30日 (日)

置きみやげ

Nora 義父の置きみやげ “ノラ”(♀)

| | コメント (2)

2008年11月27日 (木)

苦しみ 混乱

義理父が亡くなってから1カ月が過ぎた

いまだに父の死を受け入れられないでいるのか、旦那は苦しんでいる・・・

毎日霊璽にお参りを欠かさずし、遺影を眺め、父のことを思っているのか・・・

亡くなってすぐは、「まだいてるような気がする」と不思議な感覚だったみたい

亡くなる前の2週間は、病院でつきっきりだったせいで、今でもまだ病院に行けば、父がいるようだという感覚
ただ、家にはいないだけで、病院のベッドで寝ている感覚だと言う

葬儀が終わり、火葬して骨になった父を見ていても、そんな感じがするんだと言っていた

ところが、この数日、父の声が思い出せないと言いだした

肉体はなくとも、写真で顔が見れるから、まだいるのと同じ感じがするのに、声が聞けないことが胸のつかえになると言う

耳の奥底には聞きなれた父の声が残っているはずなのに、どうしてもそれがはっきりと思い出せないでいる
肉声が残っていないために、心のモヤモヤが取れず、苦しんでいる

「ビデオで在りし日の姿を残しておけばよかった」

夜になると、父のことを思い出すのか、そんなことばかり言っている
忘れられないでいる

いや、忘れる必要なんてない
逆に、ずっと心の中で父を思う気持ちを持っていることは大切

生きている間は、仕事のことや生活面でのことなど、言い合ったりしていたのに、いなくなるとどうしてもその存在の大きさに嫌でも気付かされる

どうして なんでいないんだ
いないってどういうことなんだ

旦那の中では、疑問符がいっぱいなんだろうか

どうすることもできないでいる自分自身に、苛立ちを感じ、その苛立ちをどこへ吐き出せばいいか、悩み苦しんでいる 

わたしはただそばにいて、そんなやりどころのない気持ちを聞いてあげることしかできない
心のつかえを取り除いてあげることはできないけど、そばにいて、そのモヤモヤを吐き出させてあげることでなんとか苦しさを紛らせてもらえたら・・・

********************

「ビデオでもテープでも、おやじのこと撮っておけばよかった」と言った旦那

顔が見たい 声が聞きたい

記録は、ときには残酷だと思う

写真を見れば、その時の様子がよみがえってきて話したくなる
ビデオを見ても、その時の様子がよみがえり、その場に重ねる自分がいる
姿かたちが見えるなら、目の前に来て欲しい

だけど、それは叶うことはない・・・

目の前に移っているのに、実際にはいない
そんな苦しみが生まれる
酷なことを言うようだけれど、キリがない

結局は、いないことへの悲しみと、その気持をどうすることもできないでいる自分が宙ぶらりんに彷徨っているだけ

********************

生きている間に、父のために出来ることをしていたとしても、亡くなってからはすべてが心残りなものに思えてしょうがない
あれはあぁしておけばよかった、こんなこともしておけばよかった
思い返せば、キリがないことも分かっている

それでもまだ、ふと思い出しては苦しんでいる

矛盾しているようにも思えるけれど、それが“身内の死”に対しての思いなんだろうなぁ

心の傷がいえることはないだろうけれど、時間とともに父を亡くした気持ちがいい方へ変化してもらえたらいいな
少しずつでいいから、悔やむことをやめて、父が亡くなったことで気づいたこと一つ一つの意味をこれからのわたしたちの生活の中に取り入れていけたらなぁ

| | コメント (5)

2008年11月20日 (木)

考え方の違い

ガン治療には、いくつかの選択肢がある。

放射線治療
抗がん剤治療
根治的手術

などなど

民間の治療法まで入れたら、限りなく出てくる。

本当は、悪性組織を根こそぎ取り除くのが一番なんだそうで。
でも、医療機関の考える“根治的手術”と言うのは、取り除くことが目的で、しかも悪性部分だけを取り除くのではなく、その周辺組織ごと取り除かなければ効果はないと言う。
悪い部分だけでなく、良い組織までもある程度の範囲で一緒に取り除かなければ、癌組織と言うのは細胞レベルの話になるので、肉眼で見える範囲だけではどうにもこうにも治療にはならないそうで。
ニキビのようなブツッとできた腫物をとるような話ではないそうで…

組織レベルの話になってくると、もうわからない。
とにかく根こそぎ切り取らなかったらダメだと言われ、義父にはその方法はもう使えないと言う。

なんで?鼻の中にできたデキモノは、顔を開けば取れるんじゃないの?

そう、簡単に思った。

ただ、担当医の説明を何度も聞くうちに、義父は大変なことになっていることがわかった。

はじめは本当に、ただ単なる「副鼻腔乳頭腫」だった。
鼻の中の粘膜にできた乳頭腫という腫れを取ればいいだけだった。

本来なら簡単に取り除けるはずの鼻腔乳頭腫。
耳鼻科外来の手術でも、割合多い症状らしい。

なのに義父の場合、鼻だけでなく、目の神経や顔の中心部にある動脈の走る部分にまで腫瘍が広がっていることがわかった。
MRI写真を見せてもらうと、その大きさに驚かされた。
頭蓋骨のなかに、明らかに異様に広がる大きな物体。
それが左目を押し出していることがはっきりわかる。
そして画面に出てるだけでなく、中心部に増殖、更には脳にまで達しようと言うくらいになっていた。

そんなわけで、そこまで大きくなった腫瘍を取り除こうとすれば、ガンである以上、当然周辺組織を一緒にとると言うことで、周辺組織ごと取り去ると言うことは、左目や脳の一部まで取る必要があると言うことだった。

そんなことはできない。
脳みそを切り取るなんて。

実際、頬骨を割り、眼球を取り除いて中の腫瘍を取るケースもあるらしい。
ただ、当然リスクも高いわけで。
顔の形が崩れたり、眼球がなくなることは、今の高い成形技術で補える。
形成外科との連携で、顔が崩れた部分を修復することは可能なんだそう。

だけど、義父の場合、そこまでの大掛かりな手術にどれだけのメリットがあるのか?
顔の半分がなくなり、第一、脳を取るなんてことは不可能。
癌組織だけを取り除くことはできたとしても、実際に癌の治療にはならないわけで。
顔を半分なくし、目も無くすのに、再発のリスクが高い手術なんか、何の意味もない。
そして70歳を超えた義父に、そんな大掛かりな手術に耐えうる体力があるのか?
大出血の可能性もあるリスクの高い手術を受けさせるわけにはいかない。

そこまでのリスクを背負って、あと何年生きられると言うのか。
わたしたち夫婦、姉夫婦とも、絶対にありえないと反対した。

しかし、癌は取り除くものとして、義母は危険の大きい方を取ってもいいと言った・・・

実際、その方法は義父に伝えられることはなかった。
自分がガンにかかったと、それだけでもかなりの精神的ショックを受けているのに、自分の顔が半分もなくなる、目もなくなるなんてことは、あまりにも残酷だから。
そしてそんなことをしても、何のメリットもないことも。
担当医も、そこまでの手術は絶対に勧められないこともきちんと説明してくれていたから。

義父に残された選択肢は、放射線治療や抗がん剤治療であることに、家族(義母を除く)は迷いはなかった。

ただ、大きくなった癌を放射線治療、抗がん剤治療でどれだけ抑えることができるかは、誰にも分らなかった・・・

| | コメント (2)

放置した結果

たいがいのケースでは、鼻の調子が良くない(鼻水が出る、鼻が詰まるなど)ことで気づくところ、義父は自己判断でアレルギーだから放っておいて大丈夫だと言い、病院に行くことはなかった。
こんな程度なら病院なんかに行かなくてもいいと言って、鼻がぐずぐず言う状態で何年も持ち越していた。
長い間放置しておいた結果、その乳頭腫の肥大率が大きすぎて、気がついた時にはすでに取り除けない部分にまで達していたと言う。
鼻の病気なのに、周辺組織に癒着しつつある、と。

一般的な乳頭腫の場合でも、繰り返す人は早い期間で繰り返して出来ると、初めの入院手術のときにはそう説明は受けていたので、再発もやむを得ないのかなとある程度は覚悟していたけれど、まさかこんなに早く再発するなんて…

しかも再発が認められてから、検査してもらう間にもみるみるうちに症状は進み、なんと義父の顔面にまで影響が出始めていた。
左の鼻の穴奥に元々の乳頭腫があったのに、肥大化するうちに顔の内部だけでは収まりきらなくなってきたのか、その腫れは顔面にまで突出した来たのだ。
中の腫れに押され、鼻の左側と左目の間が開いてきた。
日に日に大きくなるのがわかるくらい、鼻頭と左目が開き、腫れ上がり、左目が正面を向いていない。
ギョロリと左方向にしか向かない左目。
鼻頭が腫れているせいで、眼鏡もかけづらいと言う。
元々視力が悪かった義父は、眼鏡なしの生活は不都合だった。
でも、眼鏡をかけると鼻頭を締め付けるよな感じになるらしく、仕切りに痛いと言っていた。
たった数グラムの眼鏡でさえ重く締め付けられるような感覚で、痛みがあると言う。
物を見る仕事をしているので、眼鏡は絶対に欠かせない。
几帳面な性格から、日々の出来事を手帳に書き込むのが日課だったのに、眼鏡をかけることが出来ないので、文字を見ることが出来ない。
細かい字を見ると余計に疲れる。
目や頭が痛いとしきりに訴える日々。

鼻の病気なのに、目からは涙がしょっちゅうあふれていた。
別に悲しいわけでも悔しいわけでもなんでもないのに。感情とは関係なく、涙が流れ出てくる。
しょっちゅう涙を拭きとっているので、目もとも赤い。飛び出した目も気になっていたけど、目の周辺がただれないか、心配だった。

担当医にこの涙のことを尋ねたとき、涙も鼻の腫瘍のせいだと言っていた。
粘膜は潤いが保たれているところなので、普段は鼻の中にある液体は自然に鼻の穴を通っていくのだけれど、義父の場合はその通り道がふさがれている。
だから涙腺を通して表面に出てきてしまうらしい。
完全に、鼻の穴がふさがっているのだと言う。鼻で息をしていないと言うことだった。

腫れがひどいので、鼻をかむのも辛い。
鼻の穴がふさがっているだけでなく、痛みを伴うのだと。
そのとき、よく出血しなかったものだと思った。

あとあと考えてみれば、早期に耳鼻科にかかっていればもっと早い段階でのこの乳頭腫も発見できたわけで、取ることも簡単だった。
今回のように、取り残しなく、きれいになっていたのかもしれない。
大きくなりすぎた乳頭腫が、手術で取りきれない部分があり、そこからまた徐々に大きくなった組織が悪性化してしまった。

条件が悪すぎた。

普通ならあり得ないことが、義父に起こってしまった。

もっと早いうちから、ちゃんと病院に行くことを勧めていればよかった・・・
わかってからの治療も、もっとまじめにすればよかった・・・

思い返せば、いいことはひとつもない。
これから後悔しても、義父は戻らない。
  

だからせめて、残された家族は、これからなんでも後回しにしないで、きちんと健康管理をしていかなければいけない。
義父は、身をもって教えてくれたんだと思う。     
なにも身体を張って教えてくれなくてもいいのに・・・

  

| | コメント (0)

2008年11月19日 (水)

医療費

悪性のガンだとわかり、これからの治療についてとても不安が出てきた。

「ガン治療には莫大な費用がかかる」

頭にチラついて、離れない。
病気は治してほしいけど、正直な話、治療費がかさむのは我が家にとっても経済的負担なわけで。
どうにかならないものか?

知り合いに聞いてみたり、ネットで検索したりしてみた。

でも、具体的な金額を教えてくれるところは一つもなかった・・・

これが現実か。
いつも感じていることは、医療費は明瞭じゃない。
メニューがあるわけでもなく、実際に行った治療に対しての出来高。
それが高いか安いかなんてことすら、わからない。
妥当かどうかなんて、どう判断するんだろう?
そしてそれを提示された時点で、きっちり払わなくちゃいけない。
一般の買いものなんかだと、値切ったりサービスしたりするのに。
なんで医療費は守られているんだろう?

一人一人に出される薬や処置内容が違うから、一概にいくらかなんて出せないと医療機関は言う。
でも、切ったりくっつけたりする行為は同じなわけで。
基本と言うのが絶対にあるはずなのに・・・
わからない、わからない。

はっきり出されているのは、入院の時の部屋代と食事代だけ。
ベッド代の差額がわかるだけで、それは医療費に関係ない。

実際、義父は73歳だったから、70~74歳の老人医療の区分に入っていて、所得からいくと1割負担で医療を受けられることになっていた。(社会保険に加入)
おかげで、医療費に上限があり、入院に関しては44,200円でいい。
食事代やベッドの差額は実費だけれど、それ以外の治療費に関しては1カ月入院して治療を受けようが、1週間の入院になろうが、44,200円しかかからない。
何カ月にもわたって入院する場合でも、病院は1カ月ごとに請求書を起こしてくる。
月単位での支払い義務があるらしい。
だから、毎月月はじめに前月分の医療費を支払うことになっている。

実際に義父がかかった病院代は、月6~7万円。(医療費が1割負担なので、実際の医療費の実費分としては44,200円)

義母も治療費の負担が大きくなると困ると言うことで、担当医に「保険適応内で・・・」と言っていたらしい。(あとでわかった)
義父が行った放射線治療も抗がん剤治療も、すべて保険適応だった。
だからと言って、効果が薄いわけでもなんでもなく、きちんとしたガン治療。

                     

| | コメント (0)

告知

再発がわかり、検査を繰り返す日々。
12月の入院、手術が決まった。
12月21日入院。
12月25日手術。

前にも書いたように、検査前、担当医からの説明で、「デキモノの組織検査で悪性だとわかったら、そのまま蓋をします」と。

どんな手術になるか、そしてそれがどのくらいの時間がかかるのかもわからなかった。
みんな不安だった。

70歳を越した老人に全身麻酔をかけ、大丈夫なのか?
顔を切り開くって、どんな風になるのか?
もし悪性だったら?取れないって?

組織検査はその場ですぐに結果が出るらしい。

朝一番の手術から小1時間程度。

結果は「悪性」。
取らなかった。取れなかった。

組織検査だけだったから、正式には手術とは言わないんだろうけど。
保険会社へ提出した用紙には、「生検術」と記入されていた。
病名は「鼻腔癌」
病理組織診断名「扁平上皮癌」

その日、家族が集められ、担当医から義父の状態の説明があった。

組織検査で悪性化していることがわかったので、今までの説明通り、根治手術は無理だとのこと。

今後の治療方法としては、放射線治療、抗がん剤治療を併用してやるのが一番効果的だろうと言われた。
ただ、年齢的なことや、癌組織のできた場所が顔の内部の方へ入り組んでいるために、放射線治療にもリスクがあることを説明された。
簡単にいえば、顔の中心部付近に癌組織が広がっているために、放射線を直接癌組織に照射できないと言うことだった。
どうしても、眼球や視神経に当たってしまうだろうと。
放射線照射による癌細胞の破壊は、正常な組織へも少なからず影響があるので、癌組織に届く時に同時に放射線が当たってしまう視神経が死んでしまう恐れがあると言われた。
放射線科の先生ともよく話し合って検討して、放射線照射の方向や量を決めると言うけれど、どうしてもそういったリスクは避けられない。
でも、すぐに視神経が死んでしまうわけではないので、治療中に失明するとかではないと言われたけれど、いずれ徐々に視力は落ちてくるだろうと。

抗がん剤投与に関しても、体力がないと続けられないと言う。
抗がん剤を飲むことで、癌細胞に有益な作用をするけれど、体中の免疫を落とすことになるので、特に慎重に経過をみなければいけないと言われた。
やはり、高齢と言うだけで医者も慎重にならざるを得ないのか…

とにもかくにも、やってみないことには始まらない。
でも、そのためには治療が出来るかどうかの判定をまずしないといけないと言う。
義父にどれだけの力が残されているか、また検査がはじまる。

担当医はとにかく今すぐにでも治療を始めたいと強く訴え、放射線科や眼科など他の科の先生とも連携を取り合い、最善の方法を検討しますと言ってくれた。
悪性のガンだと告げられ、義母は、藁にもすがる思いだった…

そのころ、当の本人はまだ左目に大きなガーゼを当て、中身を取ってもらったと思っていた。
でも、今後治療をしていくことで状態はわかるはずで、担当医から本当のことを伝えてもらった。

クリスマスの夜。
義父が病室でさびしくないようにと、子どもとクリスマスの飾りを持って行った。

| | コメント (0)

«手紙