2008年11月
2008年11月30日 (日)
2008年11月27日 (木)
苦しみ 混乱
義理父が亡くなってから1カ月が過ぎた
いまだに父の死を受け入れられないでいるのか、旦那は苦しんでいる・・・
毎日霊璽にお参りを欠かさずし、遺影を眺め、父のことを思っているのか・・・
亡くなってすぐは、「まだいてるような気がする」と不思議な感覚だったみたい
亡くなる前の2週間は、病院でつきっきりだったせいで、今でもまだ病院に行けば、父がいるようだという感覚
ただ、家にはいないだけで、病院のベッドで寝ている感覚だと言う
葬儀が終わり、火葬して骨になった父を見ていても、そんな感じがするんだと言っていた
ところが、この数日、父の声が思い出せないと言いだした
肉体はなくとも、写真で顔が見れるから、まだいるのと同じ感じがするのに、声が聞けないことが胸のつかえになると言う
耳の奥底には聞きなれた父の声が残っているはずなのに、どうしてもそれがはっきりと思い出せないでいる
肉声が残っていないために、心のモヤモヤが取れず、苦しんでいる
「ビデオで在りし日の姿を残しておけばよかった」
夜になると、父のことを思い出すのか、そんなことばかり言っている
忘れられないでいる
いや、忘れる必要なんてない
逆に、ずっと心の中で父を思う気持ちを持っていることは大切
生きている間は、仕事のことや生活面でのことなど、言い合ったりしていたのに、いなくなるとどうしてもその存在の大きさに嫌でも気付かされる
どうして なんでいないんだ
いないってどういうことなんだ
旦那の中では、疑問符がいっぱいなんだろうか
どうすることもできないでいる自分自身に、苛立ちを感じ、その苛立ちをどこへ吐き出せばいいか、悩み苦しんでいる
わたしはただそばにいて、そんなやりどころのない気持ちを聞いてあげることしかできない
心のつかえを取り除いてあげることはできないけど、そばにいて、そのモヤモヤを吐き出させてあげることでなんとか苦しさを紛らせてもらえたら・・・
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「ビデオでもテープでも、おやじのこと撮っておけばよかった」と言った旦那
顔が見たい 声が聞きたい
記録は、ときには残酷だと思う
写真を見れば、その時の様子がよみがえってきて話したくなる
ビデオを見ても、その時の様子がよみがえり、その場に重ねる自分がいる
姿かたちが見えるなら、目の前に来て欲しい
だけど、それは叶うことはない・・・
目の前に移っているのに、実際にはいない
そんな苦しみが生まれる
酷なことを言うようだけれど、キリがない
結局は、いないことへの悲しみと、その気持をどうすることもできないでいる自分が宙ぶらりんに彷徨っているだけ
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生きている間に、父のために出来ることをしていたとしても、亡くなってからはすべてが心残りなものに思えてしょうがない
あれはあぁしておけばよかった、こんなこともしておけばよかった
思い返せば、キリがないことも分かっている
それでもまだ、ふと思い出しては苦しんでいる
矛盾しているようにも思えるけれど、それが“身内の死”に対しての思いなんだろうなぁ
心の傷がいえることはないだろうけれど、時間とともに父を亡くした気持ちがいい方へ変化してもらえたらいいな
少しずつでいいから、悔やむことをやめて、父が亡くなったことで気づいたこと一つ一つの意味をこれからのわたしたちの生活の中に取り入れていけたらなぁ
2008年11月20日 (木)
考え方の違い
ガン治療には、いくつかの選択肢がある。
放射線治療
抗がん剤治療
根治的手術
などなど
民間の治療法まで入れたら、限りなく出てくる。
本当は、悪性組織を根こそぎ取り除くのが一番なんだそうで。
でも、医療機関の考える“根治的手術”と言うのは、取り除くことが目的で、しかも悪性部分だけを取り除くのではなく、その周辺組織ごと取り除かなければ効果はないと言う。
悪い部分だけでなく、良い組織までもある程度の範囲で一緒に取り除かなければ、癌組織と言うのは細胞レベルの話になるので、肉眼で見える範囲だけではどうにもこうにも治療にはならないそうで。
ニキビのようなブツッとできた腫物をとるような話ではないそうで…
組織レベルの話になってくると、もうわからない。
とにかく根こそぎ切り取らなかったらダメだと言われ、義父にはその方法はもう使えないと言う。
なんで?鼻の中にできたデキモノは、顔を開けば取れるんじゃないの?
そう、簡単に思った。
ただ、担当医の説明を何度も聞くうちに、義父は大変なことになっていることがわかった。
はじめは本当に、ただ単なる「副鼻腔乳頭腫」だった。
鼻の中の粘膜にできた乳頭腫という腫れを取ればいいだけだった。
本来なら簡単に取り除けるはずの鼻腔乳頭腫。
耳鼻科外来の手術でも、割合多い症状らしい。
なのに義父の場合、鼻だけでなく、目の神経や顔の中心部にある動脈の走る部分にまで腫瘍が広がっていることがわかった。
MRI写真を見せてもらうと、その大きさに驚かされた。
頭蓋骨のなかに、明らかに異様に広がる大きな物体。
それが左目を押し出していることがはっきりわかる。
そして画面に出てるだけでなく、中心部に増殖、更には脳にまで達しようと言うくらいになっていた。
そんなわけで、そこまで大きくなった腫瘍を取り除こうとすれば、ガンである以上、当然周辺組織を一緒にとると言うことで、周辺組織ごと取り去ると言うことは、左目や脳の一部まで取る必要があると言うことだった。
そんなことはできない。
脳みそを切り取るなんて。
実際、頬骨を割り、眼球を取り除いて中の腫瘍を取るケースもあるらしい。
ただ、当然リスクも高いわけで。
顔の形が崩れたり、眼球がなくなることは、今の高い成形技術で補える。
形成外科との連携で、顔が崩れた部分を修復することは可能なんだそう。
だけど、義父の場合、そこまでの大掛かりな手術にどれだけのメリットがあるのか?
顔の半分がなくなり、第一、脳を取るなんてことは不可能。
癌組織だけを取り除くことはできたとしても、実際に癌の治療にはならないわけで。
顔を半分なくし、目も無くすのに、再発のリスクが高い手術なんか、何の意味もない。
そして70歳を超えた義父に、そんな大掛かりな手術に耐えうる体力があるのか?
大出血の可能性もあるリスクの高い手術を受けさせるわけにはいかない。
そこまでのリスクを背負って、あと何年生きられると言うのか。
わたしたち夫婦、姉夫婦とも、絶対にありえないと反対した。
しかし、癌は取り除くものとして、義母は危険の大きい方を取ってもいいと言った・・・
実際、その方法は義父に伝えられることはなかった。
自分がガンにかかったと、それだけでもかなりの精神的ショックを受けているのに、自分の顔が半分もなくなる、目もなくなるなんてことは、あまりにも残酷だから。
そしてそんなことをしても、何のメリットもないことも。
担当医も、そこまでの手術は絶対に勧められないこともきちんと説明してくれていたから。
義父に残された選択肢は、放射線治療や抗がん剤治療であることに、家族(義母を除く)は迷いはなかった。
ただ、大きくなった癌を放射線治療、抗がん剤治療でどれだけ抑えることができるかは、誰にも分らなかった・・・
放置した結果
たいがいのケースでは、鼻の調子が良くない(鼻水が出る、鼻が詰まるなど)ことで気づくところ、義父は自己判断でアレルギーだから放っておいて大丈夫だと言い、病院に行くことはなかった。
こんな程度なら病院なんかに行かなくてもいいと言って、鼻がぐずぐず言う状態で何年も持ち越していた。
長い間放置しておいた結果、その乳頭腫の肥大率が大きすぎて、気がついた時にはすでに取り除けない部分にまで達していたと言う。
鼻の病気なのに、周辺組織に癒着しつつある、と。
一般的な乳頭腫の場合でも、繰り返す人は早い期間で繰り返して出来ると、初めの入院手術のときにはそう説明は受けていたので、再発もやむを得ないのかなとある程度は覚悟していたけれど、まさかこんなに早く再発するなんて…
しかも再発が認められてから、検査してもらう間にもみるみるうちに症状は進み、なんと義父の顔面にまで影響が出始めていた。
左の鼻の穴奥に元々の乳頭腫があったのに、肥大化するうちに顔の内部だけでは収まりきらなくなってきたのか、その腫れは顔面にまで突出した来たのだ。
中の腫れに押され、鼻の左側と左目の間が開いてきた。
日に日に大きくなるのがわかるくらい、鼻頭と左目が開き、腫れ上がり、左目が正面を向いていない。
ギョロリと左方向にしか向かない左目。
鼻頭が腫れているせいで、眼鏡もかけづらいと言う。
元々視力が悪かった義父は、眼鏡なしの生活は不都合だった。
でも、眼鏡をかけると鼻頭を締め付けるよな感じになるらしく、仕切りに痛いと言っていた。
たった数グラムの眼鏡でさえ重く締め付けられるような感覚で、痛みがあると言う。
物を見る仕事をしているので、眼鏡は絶対に欠かせない。
几帳面な性格から、日々の出来事を手帳に書き込むのが日課だったのに、眼鏡をかけることが出来ないので、文字を見ることが出来ない。
細かい字を見ると余計に疲れる。
目や頭が痛いとしきりに訴える日々。
鼻の病気なのに、目からは涙がしょっちゅうあふれていた。
別に悲しいわけでも悔しいわけでもなんでもないのに。感情とは関係なく、涙が流れ出てくる。
しょっちゅう涙を拭きとっているので、目もとも赤い。飛び出した目も気になっていたけど、目の周辺がただれないか、心配だった。
担当医にこの涙のことを尋ねたとき、涙も鼻の腫瘍のせいだと言っていた。
粘膜は潤いが保たれているところなので、普段は鼻の中にある液体は自然に鼻の穴を通っていくのだけれど、義父の場合はその通り道がふさがれている。
だから涙腺を通して表面に出てきてしまうらしい。
完全に、鼻の穴がふさがっているのだと言う。鼻で息をしていないと言うことだった。
腫れがひどいので、鼻をかむのも辛い。
鼻の穴がふさがっているだけでなく、痛みを伴うのだと。
そのとき、よく出血しなかったものだと思った。
あとあと考えてみれば、早期に耳鼻科にかかっていればもっと早い段階でのこの乳頭腫も発見できたわけで、取ることも簡単だった。
今回のように、取り残しなく、きれいになっていたのかもしれない。
大きくなりすぎた乳頭腫が、手術で取りきれない部分があり、そこからまた徐々に大きくなった組織が悪性化してしまった。
条件が悪すぎた。
普通ならあり得ないことが、義父に起こってしまった。
もっと早いうちから、ちゃんと病院に行くことを勧めていればよかった・・・
わかってからの治療も、もっとまじめにすればよかった・・・
思い返せば、いいことはひとつもない。
これから後悔しても、義父は戻らない。
だからせめて、残された家族は、これからなんでも後回しにしないで、きちんと健康管理をしていかなければいけない。
義父は、身をもって教えてくれたんだと思う。
なにも身体を張って教えてくれなくてもいいのに・・・
2008年11月19日 (水)
医療費
悪性のガンだとわかり、これからの治療についてとても不安が出てきた。
「ガン治療には莫大な費用がかかる」
頭にチラついて、離れない。
病気は治してほしいけど、正直な話、治療費がかさむのは我が家にとっても経済的負担なわけで。
どうにかならないものか?
知り合いに聞いてみたり、ネットで検索したりしてみた。
でも、具体的な金額を教えてくれるところは一つもなかった・・・
これが現実か。
いつも感じていることは、医療費は明瞭じゃない。
メニューがあるわけでもなく、実際に行った治療に対しての出来高。
それが高いか安いかなんてことすら、わからない。
妥当かどうかなんて、どう判断するんだろう?
そしてそれを提示された時点で、きっちり払わなくちゃいけない。
一般の買いものなんかだと、値切ったりサービスしたりするのに。
なんで医療費は守られているんだろう?
一人一人に出される薬や処置内容が違うから、一概にいくらかなんて出せないと医療機関は言う。
でも、切ったりくっつけたりする行為は同じなわけで。
基本と言うのが絶対にあるはずなのに・・・
わからない、わからない。
はっきり出されているのは、入院の時の部屋代と食事代だけ。
ベッド代の差額がわかるだけで、それは医療費に関係ない。
実際、義父は73歳だったから、70~74歳の老人医療の区分に入っていて、所得からいくと1割負担で医療を受けられることになっていた。(社会保険に加入)
おかげで、医療費に上限があり、入院に関しては44,200円でいい。
食事代やベッドの差額は実費だけれど、それ以外の治療費に関しては1カ月入院して治療を受けようが、1週間の入院になろうが、44,200円しかかからない。
何カ月にもわたって入院する場合でも、病院は1カ月ごとに請求書を起こしてくる。
月単位での支払い義務があるらしい。
だから、毎月月はじめに前月分の医療費を支払うことになっている。
実際に義父がかかった病院代は、月6~7万円。(医療費が1割負担なので、実際の医療費の実費分としては44,200円)
義母も治療費の負担が大きくなると困ると言うことで、担当医に「保険適応内で・・・」と言っていたらしい。(あとでわかった)
義父が行った放射線治療も抗がん剤治療も、すべて保険適応だった。
だからと言って、効果が薄いわけでもなんでもなく、きちんとしたガン治療。
告知
再発がわかり、検査を繰り返す日々。
12月の入院、手術が決まった。
12月21日入院。
12月25日手術。
前にも書いたように、検査前、担当医からの説明で、「デキモノの組織検査で悪性だとわかったら、そのまま蓋をします」と。
どんな手術になるか、そしてそれがどのくらいの時間がかかるのかもわからなかった。
みんな不安だった。
70歳を越した老人に全身麻酔をかけ、大丈夫なのか?
顔を切り開くって、どんな風になるのか?
もし悪性だったら?取れないって?
組織検査はその場ですぐに結果が出るらしい。
朝一番の手術から小1時間程度。
結果は「悪性」。
取らなかった。取れなかった。
組織検査だけだったから、正式には手術とは言わないんだろうけど。
保険会社へ提出した用紙には、「生検術」と記入されていた。
病名は「鼻腔癌」
病理組織診断名「扁平上皮癌」
その日、家族が集められ、担当医から義父の状態の説明があった。
組織検査で悪性化していることがわかったので、今までの説明通り、根治手術は無理だとのこと。
今後の治療方法としては、放射線治療、抗がん剤治療を併用してやるのが一番効果的だろうと言われた。
ただ、年齢的なことや、癌組織のできた場所が顔の内部の方へ入り組んでいるために、放射線治療にもリスクがあることを説明された。
簡単にいえば、顔の中心部付近に癌組織が広がっているために、放射線を直接癌組織に照射できないと言うことだった。
どうしても、眼球や視神経に当たってしまうだろうと。
放射線照射による癌細胞の破壊は、正常な組織へも少なからず影響があるので、癌組織に届く時に同時に放射線が当たってしまう視神経が死んでしまう恐れがあると言われた。
放射線科の先生ともよく話し合って検討して、放射線照射の方向や量を決めると言うけれど、どうしてもそういったリスクは避けられない。
でも、すぐに視神経が死んでしまうわけではないので、治療中に失明するとかではないと言われたけれど、いずれ徐々に視力は落ちてくるだろうと。
抗がん剤投与に関しても、体力がないと続けられないと言う。
抗がん剤を飲むことで、癌細胞に有益な作用をするけれど、体中の免疫を落とすことになるので、特に慎重に経過をみなければいけないと言われた。
やはり、高齢と言うだけで医者も慎重にならざるを得ないのか…
とにもかくにも、やってみないことには始まらない。
でも、そのためには治療が出来るかどうかの判定をまずしないといけないと言う。
義父にどれだけの力が残されているか、また検査がはじまる。
担当医はとにかく今すぐにでも治療を始めたいと強く訴え、放射線科や眼科など他の科の先生とも連携を取り合い、最善の方法を検討しますと言ってくれた。
悪性のガンだと告げられ、義母は、藁にもすがる思いだった…
そのころ、当の本人はまだ左目に大きなガーゼを当て、中身を取ってもらったと思っていた。
でも、今後治療をしていくことで状態はわかるはずで、担当医から本当のことを伝えてもらった。
クリスマスの夜。
義父が病室でさびしくないようにと、子どもとクリスマスの飾りを持って行った。
2008年11月14日 (金)
手紙
義父が亡くなって20日過ぎた
昨日、チビがじいちゃん宛に手紙を持って帰ってきた
「じいちゃんに見せて」と言って、位牌の前にお供えした
「じいちゃんにあげたんやから、絶対に見たらアカンで!」
念を押され、うんうんと返事
今日の昼間、チビのいない間に、こっそりと中を見てみた・・・
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じいちゃんへ
今のたびはじゅんちょうにすすんでいますか。
今度の11月16日に日曜参観があるから天国で観れたら見てきて、
むりならむりやり見なくていいよ
観れたらぼくを見といて。
その日曜参観はいろいろなことをするからできたらみていてね。
チビより
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(とりあえず要約)
じいちゃんへ
今の旅は順調に進んでいますか?
今度の11月16日に、日曜参観があるから、天国で見れたら見ていてね。無理なら無理矢理見なくていいよ。見れたらぼくを見ていて。
その日曜参観は、いろいろなことをするから、出来たら見ていてね。
チビより
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うちは日本古来の神道です
なので、じいちゃんは、亡くなった日から50日かけて、薄暗い道を灯明の明かりを頼りに、神様の元へ旅をします
今はまだ、その途中です
50日目に、無事に神様の元へ辿り着けることをチビは願っています
でも、寄り道が大好きなじいちゃんを知っているから、ちゃんとまっすぐに神様の元へ歩いて行っているか、ちょっと心配です
だから、この手紙で、「今の旅は順調ですか?」って聞いたんだと思う
天国へ行く道を迷うことなく歩いていって欲しい
神様の元へちゃんと辿り着くと、チビは信じています
そして、じいちゃんは元は鼻の病気なのに、目にも大きなデキモノが出来て、左目が見えなくなってしまったことも気にしていたね
じいちゃんは、大きなガーゼに覆われた左目で、不自由だったもんね
だから、見て欲しいけど、無理して見なくていいよって書いたんだね
亡くなったじいちゃんに、音楽発表を見てもらいたかったんだね
どこにいても、きっとじいちゃんはチビのこと見てくれてるよ
チビがじいちゃんのことを好きだったように、じいちゃんもチビのこと大好きだからね
じいちゃん、寄り道しないでいてくれるといいね
かあさん、約束破って手紙こっそり読んで、前が見えなくなったよ・・・
2008年11月13日 (木)
置き土産
義父が病気にかかってから、家の周りをうろついていた猫を飼いならすようになっていた
お世辞にも可愛くもない、汚いブチ猫
いつからか、義父はその猫を家に入れるようになっていた
正直、「汚いから入れるな」と何度も怒った
野良ネコは、どう考えたって衛生上も良くないし、今の免疫力の落ちている義父にとっては絶対に良くない
特に鼻や目の周りの粘膜には、いいはずもない
それを「餌をあげたら寄ってくるから・・・」などと言っては、餌だけを与え続け、勝手に家の中に入ってくるようにしてしまっていた
義母にも口うるさく「お義父さんの体に良くないから入れないで」と言っていたのに、「可哀そうやから、お願い」と、逆に懇願された
かわいそう?誰が?
元々猫好きの夫婦なので、どうしても飼いたかったのか
飼うなら飼うで、きちんと管理して欲しかった
どこから来たのかもわからない汚い猫を招き入れるなんて・・・
ふてぶてしくも、餌だけを貰いに家に入ってきていたその猫
義父の病状が重くなってからは、その猫が義父の相手をしていた
日中、義父がぽつんと部屋にいるときには、必ずそばに猫がいた
なにをするわけでもなく、そばに寄り添って・・・
義父が苦しんでいるときは、心配そうにニャァニャァ鳴く
布団に横になっているときは、布団には入ってこないで布団頭あたりでゴロリと横になっている
ネコなりに、義父のことをわかっていたのか
病院に緊急搬送されてからは、誰もいなくなった部屋で義父がいつも座っていたダイニング用のいすの隣の席で寝ていた
義父が帰ってくるのを待っているかのように
義父がいなくなった今、定時刻になるとは1階の事務所に降りて来ては、ニャァニャァ鳴いて義母を呼ぶ
きっと帰りが遅いと言っていた義父の代わりに、呼びに来ているんだろう
家族みんな仕事をしているので、帰り時間がバラバラで、いつも義父は待たされていた
病気になって仕事が出来ないようになってからは、毎日2階自宅で義母が戻ってくるのを待っていた義父
「おかあさん、まだかなぁ・・・」
子供が母を待つように、妻を待っていた
病気で心細かったんだと思う
残り少ない時間を少しでも一緒に過ごしたいと思っていたんじゃないかと思う
今となっては、義父は自分がいなくなってさびしくなるだろうと思って、義母のために猫を呼び込んでいたのか
そう思うと、心がちょっと締め付けられる・・・
常識・非常識
義父が亡くなってから20日過ぎた
旦那にとっては、父・・・
まだ、父を亡くした気持ちが癒えることはない
まだ、じゃなく、ずっとこれからも、父を亡くした気持ちは癒えることはないと思う
でも、人によっては思いも違う
いつまでも悲しみを引きずってはいけないと言う人
親を亡くしたんだから落ち込むのも仕方がないと言う人
慰めてもらったって、亡くなった人が戻ってくるわけでもなく、悲しみが晴れることもない
だけど。
言っていいことと、そうじゃないことがある
旦那にとっては、実の父親
亡くして初めてわかった、父の存在の大きさ
今一番、身にしみて感じているのは旦那
まだ忌中・・・
実の親を亡くした人の「忌」の期間が一番長いのも、わかる
そのための忌中であること
癒えることのない心のまま、日常に追われているのに、心ない一言でまだ傷ついた
「邪魔なヤツがおらんようになって、楽になったやろ」
仕事上、ぶつかり合っていたとしても、父を亡くした旦那に向ける言葉じゃない
その人も、ほんの軽い気持ちで言ったのかもしれないけど、まだそんな軽々しく言うような内容の言葉じゃないことは、誰しもわかっているはず
口から出た言葉は、もう戻せないよ・・・
元気な時に言う“冗談”ではすまされない
励ますつもりなら、もっと気の利いた言葉に変えなくちゃ
人間不信になりかけている旦那にとって、まだまだいろんなことが降りかかってくるだろうと思うと、心が痛い
2008年11月11日 (火)
再入院まで
6月の入退院後も、定期的に診察には通っていた。
1ヶ月に1度のペースだったと思う。
ところが、3~4ヶ月経つ頃、また不調を訴え始め、定期検診でもなにやら異常が認められるようだった。
すぐに検査しましょうと、レントゲン、CT、MRIなどの予約に追われる。
市大ともなると検査だけでも待ちが長く、予約を取るのでさえ週単位。
診察はしてもらえるのに、検査が先。そんなことの繰り返しで、現在の状況を知るにも時間がかかりすぎた。
左目の辺りが徐々に腫れ、痛みがあるという。
元々、ハナタケで左側の鼻の穴が潰れてしまったせいで、左の鼻の利きが悪かったようだけど、6月の手術では鼻の通りも楽になったと言っていたのに。
メガネをかけることもしにくいくらい、痛みを訴える。
涙がポロポロこぼれ、モノを見るのも辛いんだとか。
診察も2週間単位に変わっていたのに、どうすることも出来ず、その間にも次第に大きくなっていっていた細胞。
その当時はまだガン細胞の増殖とはっきり断言することは出来なかったのだけれど、今思い返せば、義父のガン細胞はものすごい勢いで身体に増殖していっていた。
11月、すぐにでも手術をしたいと言われ、家族が集められた。
それまでのCT、MRIなどの状況を見ると、準備期間のたった数週間のうちにも増殖している物体があるとのこと。
左目の眉毛の下から左鼻筋にかけてメスを入れ、直接デキモノを取り除こうという計画。
しかし、その場での病理検査の結果が悪性だった場合は、切除出来ないと言われた。
悪性=ガン なわけで。
ガンの手術というのは、あくまでも完全に治る確率の高い患者のみ。
根治手術って、字の如く、「根こそぎ取り去る」ことが、ガン再発の道を絶つ、唯一の方法だと言われた。
義理父の場合は、この根治手術は不可能だった。
テレビなどでよく言われているゴッドハンドのドクターはどう言ったかわからないけれど、かかっていた市大病院の主治医によれば、義父の腫瘍が出来た部分が悪すぎると。
鼻なのに、一番わかりにくい、鼻の裏側(顔のど真ん中付近)に入り込んでいると。
根治手術となると、腫瘍が出来た部分だけでなく、その周辺の綺麗な組織ごと取り除く必要があるのだとか。
・・・と言うことは、左の鼻の穴はどうなるの?
鼻の周りの組織ってなに?
ない知恵を絞って考えてみた。
素人には全く訳のわからない領域だった。
先生の話では、鼻の穴の左の方に出来たと言うことで、万が一根治手術が出来るとしても、顔の真ん中には動脈という大事なものが走っているし、左の頬骨を削り、左の眼球も取り除かなければいけないとのこと。
脳にまで達している可能性があるので、そういう部分まで削り取ることは出来ないと。
一部でも組織が残るような手術は、出来ないことも言われ、病理検査で悪性だとわかった場合、大きくなった腫瘍は取りきることはなく、顔を閉じるという。
担当医の手配で、なんとか年内の手術日が決まった。
平成19年12月25日。
わたしの子供の誕生日… 義父にとっては、内孫の10歳になる誕生日に手術を受けることになった。
平成19年12月21日入院。
はじまり
思い返してみても、ゴチャゴチャになるくらい、病歴というか、発病からの期間は本当に短い。
19年6月に、“鼻腔乳頭腫”切除と言うことで入院した。
入院期間はたった2週間。(平成19年6月8日~22日)
その間、手術は1度だけ。
内視鏡下鼻内鼻副鼻腔手術という方法で、鼻の穴を使った手術だった。
術後も大きな出血もなく、どこにも異常を認められなかったので、割と短い入院になった。
その時の病院が発行した退院証明書によれば、「治癒に近い状態(寛解状態を含む)」にチェックされていた。
※寛解…病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態
はっきり言えば、その時点で“完治”ではなかった。
出来たハナタケが大きく、場所も悪かったので、少し取り残した部分があったけれど、病理検査でも悪性ではないことがわかっていた。
退院後は用心した生活を送らなくてはいけないところ、病気に対してはあまり知識がなかったのか、性格的なものか、別段身体も異常がないと言うことで、今まで通りの生活をし始めた義父。
一時的に早めていたタバコも、また少し吸うようになっていた。
鼻やのどの粘膜は、刺激はよくないとあれだけ言われていたにもかかわらず、長年吸い続けていたタバコ、趣味でゴルフクラブをいじる際のシンナー、スイミングなどはやめられなかった。
手術した人とは思えないほど、すぐにスイミングに復帰し、あっけにとられたのを記憶している。
結局何が悪かったのかの原因は突き止めることは出来ないものの、同じ年の秋口に、本人自らがまた不調を訴えだした。
それがガンとの戦いの始まりだった…
診断名が付くまで、わずか5ヶ月足らず…
2008年11月 4日 (火)
ことの始まり
そもそも義父は、はじめから癌だったわけではない
長い間、鼻の具合が悪いのを放ったらかしにしていて、ある日鼻に違和感を覚え始め、やっと重い腰を上げたことから始まったように記憶している
平成19年2月頃…
個人耳鼻科に行き、診察してもらったら、すでにその病院では手に負えないくらいの“鼻タケ”になっていたらしい
鼻の穴の奥で、出来物が肥大して鼻の穴を塞いでしまうようなものらしい
通りで呼吸が荒く、いつも詰まったように音を立てて息を吸っていた
大学病院で除去することを勧められ、渋々受診することに
検査の結果、正確には“副鼻腔乳頭腫”(ふくびくうにゅうとうしゅ)といって、比較的鼻が悪い人はかかりやすいものなんだとか
入院手術で、小さければ鼻の穴から切り取る手術が出来るみたいなんだけど、ある程度の大きさなら上顎と上唇の内側からメスを入れ、出来物を切り取ると言われた
平成19年6月…
手術は鼻の穴からのスコープ手術と10日ほどの入院で、自宅に戻ってきた義父だった
病歴
振り返ってみれば、義父が“鼻腔癌”とはっきり診断されたのは、去年の12月だった
と言うことは、一年経ってないんだ…
死亡診断書に書いていた「約11ヶ月」
具体的な余命宣告はなかったものの、担当医からは「いつ容態が急変してもおかしくない」と常々言われていた
大学病院の先生たちでさえ、予測不可能な進行状況で、一番不安だったのは、きっと何も知らされていなかった義父なのかもしれない…




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