義理父が亡くなってから1カ月が過ぎた
いまだに父の死を受け入れられないでいるのか、旦那は苦しんでいる・・・
毎日霊璽にお参りを欠かさずし、遺影を眺め、父のことを思っているのか・・・
亡くなってすぐは、「まだいてるような気がする」と不思議な感覚だったみたい
亡くなる前の2週間は、病院でつきっきりだったせいで、今でもまだ病院に行けば、父がいるようだという感覚
ただ、家にはいないだけで、病院のベッドで寝ている感覚だと言う
葬儀が終わり、火葬して骨になった父を見ていても、そんな感じがするんだと言っていた
ところが、この数日、父の声が思い出せないと言いだした
肉体はなくとも、写真で顔が見れるから、まだいるのと同じ感じがするのに、声が聞けないことが胸のつかえになると言う
耳の奥底には聞きなれた父の声が残っているはずなのに、どうしてもそれがはっきりと思い出せないでいる
肉声が残っていないために、心のモヤモヤが取れず、苦しんでいる
「ビデオで在りし日の姿を残しておけばよかった」
夜になると、父のことを思い出すのか、そんなことばかり言っている
忘れられないでいる
いや、忘れる必要なんてない
逆に、ずっと心の中で父を思う気持ちを持っていることは大切
生きている間は、仕事のことや生活面でのことなど、言い合ったりしていたのに、いなくなるとどうしてもその存在の大きさに嫌でも気付かされる
どうして なんでいないんだ
いないってどういうことなんだ
旦那の中では、疑問符がいっぱいなんだろうか
どうすることもできないでいる自分自身に、苛立ちを感じ、その苛立ちをどこへ吐き出せばいいか、悩み苦しんでいる
わたしはただそばにいて、そんなやりどころのない気持ちを聞いてあげることしかできない
心のつかえを取り除いてあげることはできないけど、そばにいて、そのモヤモヤを吐き出させてあげることでなんとか苦しさを紛らせてもらえたら・・・
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「ビデオでもテープでも、おやじのこと撮っておけばよかった」と言った旦那
顔が見たい 声が聞きたい
記録は、ときには残酷だと思う
写真を見れば、その時の様子がよみがえってきて話したくなる
ビデオを見ても、その時の様子がよみがえり、その場に重ねる自分がいる
姿かたちが見えるなら、目の前に来て欲しい
だけど、それは叶うことはない・・・
目の前に移っているのに、実際にはいない
そんな苦しみが生まれる
酷なことを言うようだけれど、キリがない
結局は、いないことへの悲しみと、その気持をどうすることもできないでいる自分が宙ぶらりんに彷徨っているだけ
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生きている間に、父のために出来ることをしていたとしても、亡くなってからはすべてが心残りなものに思えてしょうがない
あれはあぁしておけばよかった、こんなこともしておけばよかった
思い返せば、キリがないことも分かっている
それでもまだ、ふと思い出しては苦しんでいる
矛盾しているようにも思えるけれど、それが“身内の死”に対しての思いなんだろうなぁ
心の傷がいえることはないだろうけれど、時間とともに父を亡くした気持ちがいい方へ変化してもらえたらいいな
少しずつでいいから、悔やむことをやめて、父が亡くなったことで気づいたこと一つ一つの意味をこれからのわたしたちの生活の中に取り入れていけたらなぁ
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